あらすじ
地下鉄の”ある事件”を機に母性が暴走する
蜂須賀恵理子は、悲嘆に暮れている。自慢の息子が痴漢行為を咎められ、逃げようとして地下鉄に轢かれ、死んだのだ。冤罪だと信じる恵理子は、亡き息子のSNSにのめり込み、事件の真相を探ろうと奔走する。
夏川美夏は、激怒している。高校生の娘が電車内で痴漢を捕まえたが、被害には長い間遭っていたというのだ。美しい娘には芸能界で活躍してほしい。週刊誌記者に身辺を嗅ぎ回られ、美夏は苛立つ。
高奈琴絵は、幸せの絶頂から突き落とされる。不妊治療の末、ようやく待望の子供を妊娠した矢先、夫が痴漢をして逮捕されたのだ。琴絵を責める義母に、逆ギレする夫。離婚がちらつくが、一人で子供を育てる自信がなく琴絵は途方に暮れる。
地下鉄で起きたある事件を発端に、歪み、崩壊していく三つの家族。
そして、新たな悲劇が起こる――
暴走する母性の先に衝撃の結末が待ち受ける、ドメスティック・スリラーの新たなる傑作!
登場人物
1⃣蜂須賀恵理子:息子が痴漢を咎められ、逃げようとして電車事故で亡くなる。冤罪を信じるうちに亡き息子のSNSにのめりこんでいく。
2⃣夏川美夏:娘が電車で痴漢に遭う。初めての被害ではなく、長く被害に遭っていたことを知る。
3⃣高奈琴絵:不妊治療の末、待望の子どもを妊娠。妊婦生活の最中、夫が痴漢の容疑で逮捕される。
妊娠中に起きた事件
琴絵は待望の第1子を妊娠していた。流産も経験し夫婦で悩んでいた。やっとの思いで授かったが、そんな妊娠中に旦那である篤志が電車で痴漢をした。さらに詳細を聞くと一度きりの話ではなく以前から同じ子をつけ狙って犯行に及んでいたかもしれないことも知る。お腹の子どもも育てながら仕事もして、さらに会社の中では旦那の現状について隠しながら働かなければならず、義母から責められてしまう。挙句の果てには弁護士から偽の診断書をもらって来いとの指示まで受けることになる。無実を信じていた琴絵だったが、示談を済ませて帰ってきた旦那に話を聞こうとすると罵声を浴びせられ逃げられてしまう。
琴絵はその後、篤志から触れられることに拒否反応を起こすようになるが、当たり前の反応だと思う。心配や迷惑をかけて帰ってきたからにはまずは謝ることが先決のはずなのに謝るどころか説明もせずにキレてどこかへ行ってしまうなんてありえない行動に出ている。
その後の琴絵の心情がリアルで痛ましい。痴漢をしてしまった相手の保護者に相談するのは常識から外れているが、気持ちに関しては理解できることも多い。琴絵に関しては、おなかの中にもう赤ちゃんがいることでしっかり母親になってしまっているわけで、父親は離婚すれば逃れられる(物理的に)かもしれないが、産むまでの時間も産んでからの時間も母親は共にする必要がある。また、今回の場合は旦那の会社で働いているので離婚する以上職場も変えねばならず、身重の状況で転職活動をし、バレないように働き続けることはとても難しい。産まれた後もシングルマザーで働いて養っていかねばならないのでストレスが大きい。犯罪を犯したのは旦那の方なのに一番大変なのは妻の側だということが納得いかない点である。出産翌日から働くこともできないので、圧倒的に色々な面で不利だと感じる。これは、痴漢騒ぎに限らず何らかの事情で出産までに離婚を考える際には当てはまることである。
痴漢被害者の家族
高校生の夏川紗季は以前から何度も同じ人から痴漢被害に遭っていた。友人に相談し、ある日、痴漢の犯人を捕まえる。母親の美夏はそれを知って愕然とする。今まで以上に過剰に娘に干渉するようになる美夏。紗季は母親に少しずつ反発するも、PTSDに悩まされるようになる。母親とのけんかをした際に家を飛び出した紗季はそのまま帰らぬ人となる。亡くなった後から紗季はパパ活をしていた事実を知る家族。娘を亡くした美夏は激情を抑えられなくなり、示談をして釈放されている篤志の会社まで怒鳴り込みに行く。
痴漢犯罪自体は、悲しいことに色々な場所で起きている。女性ならば一度は痴漢に遭ったことがあるが、声をあげないまま終わった経験がある人は多いかもしれない。しかし今回に関しては、何度もつけ狙うようにして被害に遭っていたので目をそらせない件であったこともうかがえる。紗季は痴漢を捕まえた後、示談金をもらったことで世間から厳しい声を言われる描写がある。“これ痴漢かな?”と感じたり痴漢だとわかっても声をあげられなかったりした経験がある人からすると背景を知らない場合、自分は知らないふりをして我慢したのに、多額のお金をもらった人を知るとそういった心無い声が上がることもあるのも知れない。さらに言えば、それがSNS場であるならばなおさら誹謗中傷がしやすい。最近では痴漢の冤罪でお金を稼ぐという事件が起こっているので、女性も声を出しづらい風潮にあるのかもしれない。男女ともに痴漢に関しては敏感にならざるを得ない社会になってきている。
痴漢に娘が苦しめられていたのみでなく、喧嘩別れのまま娘が亡くなってしまったことで母親である美夏の心が満タンになってしまった。もう接触しないと法的にも約束している相手の会社に乗り込んでいって名誉棄損とも思える内容の発言を色々な人が見ている場でしていたことは大人としては度が過ぎている。しかし、親としてここまでの怒りや悲しみをどのようにぶつけたらいいのか…。褒められた行動ではないけれど気持ちは分からなくもない。
母親たちの暴走
3つの家庭がそれぞれの視点で描かれている。痴漢容疑者の息子を亡くした恵理子、痴漢被害の末娘が亡くなってしまった美夏、痴漢容疑で捕まった息子を助けようとして真っ黒な犯罪を犯した文子、3人とも母親として子どもを守るためになりふり構わず動いている。“子どものため”ならストーカーでも脅迫でも殺人でも…自分の一番大切な存在を守るために何でもする。それが母親なのか。母親とは、すごい生き物であることを改めて感じる。
感想
第3者から見るとそれぞれ全員何してんだと呆れたりびっくりしたりした。さすがに犯罪はやりすぎなのではないかと思ったが、自分の子どもが同じような目に遭ったら自分はどうするのだろうか。
これから母親になる琴絵はどんな母親になっていくのだろう。親になれば道を間違えてしまうほど子どもを愛するようになるのだろうか。
小説の題名であるマザーコンプレックスは、通常は母親のことが大好きすぎて想いが重すぎる人のことを指す。しかし、この小説内ではマザー=母親が自分のコンプレックスになってしまうような行動をする描かれ方をしていた。そんな意味だったのかなぁなんて思ったり。