あらすじ
従順な妻と優秀な娘にめぐまれ、完璧な人生を送っているように見える大澤正樹には秘密がある。有名中学に合格し、医師を目指していたはずの長男の翔太が、七年間も部屋に引きこもったままなのだ。夜中に家中を徘徊する黒い影。次は、窓ガラスでなく自分が壊される――。「引きこもり100万人時代」に必読の絶望と再生の物語。
登場人物
・大澤正樹:主人公。父の代から医院を受け継いだ歯科医。引きこもりの
・節子:正樹の妻。専業主婦。
・由依:正樹の娘。努力して有名な大学まで進み、結婚を控えている。
・翔太:正樹の息子。有名中学に進学するが途中で学校に行かなくなり、そこから7年間引きこもっている。現在二十歳。
・高井守:翔太のいじめ問題に向き合う弁護士。
8050問題とは
8050問題(はちまる・ごうまる)とは、80歳代の親と50歳代の子どもの組み合わせによる生活問題。高齢の親が経済的に逼迫した状態で相談に訪れるという例が確認されている。子どもが、困窮するにつれて親の年金に生活を依存するなどの状況に陥る。また、親が介護状態になることで子どもが離職するなどの原因も背景になっている。これらの問題が少しずつ社会的に可視化されるようになってきている。(厚労省の内容を要約。)
引きこもりの原因
翔太が中学生の時に引きこもりになった理由は、当時は親に打ち明けていなかったが、20歳になって親が問題意識を感じたことで行動し始め、それに伴って明かされる。
親と同じように医者を目指していた翔太は進学校でいじめに遭っていた。(後々明かされるが、そのいじめにきっかけは歯科医である親に歯磨きを昼食後にもしろと言われてかわいい歯ブラシを学校へもっていき、それを見られたことにあった。)いじめの具体的な内容としては、下着姿にさせられ他校の女子に画像を送り付けられる・別のターゲットのことをいじめているように見えるような写真を撮られる・焼却炉の中に閉じ込められ誰かが気付くまで開けてもらえないなどがあった。
いじめられていることを相談できない
いじめられていたことを翔太は両親へ打ち明けられないまま引きこもりや不登校になってしまった。初めは、違和感を抱いていても同じグループの中にいる友達同士のイジリ合いだと受け取ることにしていたが次第に耐えられなくなった。いじられているだけ、ふざけあっているだけと思い込むようにすることで自分の心をだまし、傷つかないようにしていた。
いじめはどのタイミングでもあることであるが、この問題に関しては中学時代のいじめである。経験上、いじめは中学時代に行われることが多いような気もする。中学生になると親に自分がいじめられていることを言わなくなる。その理由としては色々な人がいるが、「言ってしまったら認めていることになり自分の存在が崩れてしまうような気がする」「プライドが邪魔をする」「いじめられている学校と穏やかな家庭との世界を切り離して考えたい」などがある。違和感を抱き始めた初日から親に相談する思春期の学生は少ないように感じるが、やはり学校であった嫌なことを一度でも親に言ったら親から「かわいそう」「もう学校に行かなくてもいい」と思われ言われることで、自分の境遇を認めてしまった気になるのかもしれない。そうなるともう家にいる時も「いじめられている自分」として扱われる気がしてあまり言いたくないのだろう。
加害者は自分の罪を忘れている
作中で、加害者は心が安定しないふわふわの時期(思春期など)にしたことをすぐに忘れてしまうと述べられている。絶対にいじめは肯定できないが、その考えに関しては同意する。相手に悪いことをしたと感じることがその当時はあると思うが、自分が同じことをされた時と比べた時に同じように覚えている人は少ないのではないか。いつだって嫌な気持ちされたことというのは鮮明に残るものである。小さな事であろうと、むしろ脚色してモヤモヤにかわって心の中に残り、その相手のことをどこか許せない気持ちになってしまう。
これに関し、どのように対処したらいいのか。自分も学生のころから何度も考えたことがある。1つ、最上の答えとしては自分も大げさに捉えないことにあると考える。相手も深く考えずに発した発言、もしくは行動であるとあまり深く捉えないようにすればそれは双方の間でいつまでも残る内容にはならない。しかし今回のようないじめの内容は思い過ごしでは済まされない痛みをはらんでいる。この場合はその時に大人に相談するか、怖いけれど面と向かって立ち向かうか、色々と模索するが本当に学生特有のヒエラルキーであったりルールであったりがある中でそれは難しい。声を出せない子どもに対して、周りの大人がいち早く気づいて適切な対処をしてくれることを願うが、大人もその最適解が出せないのだろう。火に油を注ぐ結果になってしまうことはもっと避けたいし、そもそも面倒ごとに関わりたくないと考えている教師は少なくないと思う。永遠の課題。
いじめに対しての両親の反応
これも作中でも取り上げられているが、なぜ子どもが引きこもったタイミングで両親が動かなかったのか?両親の主張としては… *すぐ元通りになると思っていた *頑張って入って手に入れた学校生活を簡単に手放すはずがないのでまた登校するだろう *本当に大きな問題があるのであれば、有名な学校なので学校側が動いてくれるのでは? *事を早いうちから勝手に大きくしすぎると息子が学校にいづらくなりモンペ扱いを受けてしまうのでは などが挙げられていた。
この考えを冷たいと感じる人はどれくらいいるだろうか。自分は、この気持ちを聞いて意外と共感できてしまった。そんな自分も冷たいのかもしれないが、学校というものは自分も通っていたからこそわかるが、親が介入した途端、周りからその学生は「親がモンペらしいよ」などとうわさされる対象になってしまう。なので、現状子どもが学校でどのような立ち位置にいるのかや何をされているのかがわからないままでは勝手に突っ走ることはできないのでは。子どもにどうしたのか尋ねても言ってくれないのであれば学校側に対して動くことはできない気持ちはわかる。しかしだからといってそれでおしまいかと言ったら、それは違う。ならば子どもが今何に悩んでいるのか、何がきっかけで親に言いたくないのかなどを探る必要がある。仕事をしながら子どもにも真摯に向き合うというのは気合いのいることかもしれないが、両親揃っているのであればなおさら2人で分担して様々なアプローチが子どもに対してできたように感じる。
また、裁判の話が進むにつれて両親の考えにズレがどんどん生じていく。
〈母親の主張〉息子に無理をさせなくていい。裁判なんて起こすとしたらまた息子に負担をかけることになる。辛い思いをさせるくらいなら今後も自分たちで面倒を見ていく。その結果、裁判に向かって動いている父親から逃がすために金を渡し、家出をしてしまう。
〈父親の主張〉問題からもう目を背けてはいけない。きちんと自分も息子に向き合う覚悟を見せるとして裁判を起こす。息子のためでも自分たちの今後のためでもある。そのためには多少無理させてでも今が変わるタイミングなのだ。
この2つの主張は真っ向から対立している。どちらも息子のことを思って動いているのでどちらも悪気はないしどちらも間違ってはいない。だからこそ、誰にも解決できない。結果的に裁判は起こすことになるし、離婚をすることにもなるのだが、長年連れ添ってきた夫婦が分かれるきっかけにもなってしま他のだと思うとこの問題はとても根深い。
統合失調症といじめの関連性
統合失調症:心の働きの一部のバランスが崩れた状態。(人と交流しながら日々の生活をしたり、自分が感情や思考を上手くコントロールすることができないということを認識できなくなる・病気のために感覚、思考、行動のバランスが乱れていることを自覚することが難しい) 全人口の1%ほどの人で、特に若い人が統合失調症にかかる。
いじめられた結果、引き起こされることが多いのがこの統合失調症。しかしこの病気は内面の傷であり、外から見て管領づけることがとても難しい。いじめの結果、病気になってしまったことを立証することが出来れば大きな証拠となってくれるが、自分の心が認められずに病院へ行っていないケースもある。
感想
とても興味深く、面白い小説であった。自分はまだ親になたことはないが、親だからといってすべての問題に対応できるわけでもないし、耐えられるわけでもない。子どもを守るために親は強くあろうとするけれど、裁判を起こす準備の間にも子どもはもちろんであるが、親の気持ちも耐えられなくなってしまっている場面が出てきて、自分としてはその辺もリアルだと感じた。子どもが実は加害者になってしまっていたのかと思うとどうにもここまでの被害者だと思っていたことを信じられなくなる気持ちもわかる。何が本当なのか、当事者でない親が関わっている以上一つ一つの証言に振り回されてしまう。自分の親は、子どもがいじめの被害者だった時と加害者だったとき、どちらの方がショックなのだろうか。そんなことも考えてしまった。
引きこもり+子ども→弱者と捉えられる。けれど、だからって何でもかんでも周りが悪く言われるのは違う。引きこもった原因は家庭環境にもあったのではないかなど、虐待を受けているわけではなくても親は疑われていた。厳しいかもしれないが、引きこもってしまった子にも何らかの問題があるのかもしれないし、その辺を見極めることが出来ないのがもどかしい。まあ、極論いじめがなくなればこの問題は消えるのだろうが。